ご案内
医師に対する注文では、
○患者家族の願いが叶うよう適切な治療法を提示すること。
○患者の不安を打ち消す「会話の技術」を持つこと。
○医療情報を的確に伝える能力を磨き、十分説明すること。
という三つ。
一方、患者家族側の心得は次の二点だ。
○医者と向かい合ったとき、きちんと話をすること。
○がんとともに生きる努力目標を自分で決めること。
うれしい誤算
T夫妻の場合、最初の入院先は期待外れであった。
が、二人目の平岩医師は期待どおりの治療技術を持ち、説明上手な医者だった。
手術前日の同年七月十八日、わざわざ上京してくれた実兄も同席し、夫妻は平岩医師から手術の説明を受けた。
同医師は、この時点で想定されるA、B、C、Dという四つの手術パターンを示した。
ケースA 何もせずおなかをすぐ閉じる(最悪の状態。
前の入院先は画像診断でそう考えた結果、手術不能と判断した)。
ケースB 食道部分までがんに大きく冒されている場合、おなかを開けると同時に開胸手術を施し、取れるがんは取る(「最悪」の次に厄介な状態で手術時間は十時間以上かかる)。
ケースC とりあえず進行胃がんによる出血死を防ぐため、胃を全部取る(これが可能なら手術後、抗がん剤治療を二回、三回と繰り返すことによってがんと共存できる可能性もある)。
平岩医師はこう証言する。
「Tさんの胃内部に、直径十センチ以上の円形のがん病巣があったのはまず間違いありません。
ところが実際におなかを開いたら、直径二、三センチ程度に小さくなっていた。
これほど抗がん剤が効くケースも稀だし、私自身も驚くほど『うれしい誤算』でした。
その分、今回の手術は大変やりやすかったのも事実です」
手術後も順調な快復ぶりで、T氏は、胃全摘出手術の翌日から早くも立って二歩三歩と歩いたという。
そうやって手術後のヤマと見られた最初の三日間、一週間を無事乗り切れた。
九日目に重湯、十三日目には五分粥を食べた。
私がT氏の病室を訪れたのはそのころのことだ。
手術後は,順調な快復ぶりのようですね。
「いや、半分は強制的に歩かされたんです。
先生が、手術の明くる日から『立ちなさい』
『歩きなさい』、と。
これは少しきつかったです」
もっと生きたい、治りたい。
毎日の歩行数が少しずつ伸びた。
そして手術成功から十七日目の八月四日、彼は元気に歩いて退院できたのだった。
「(夫のがんは)まだ完治しているわけではないし、今後も完全に治る可能性は少ないかもしれません。
でも私はね、がんの夫とともに一日でも長く生きていければ幸せだと信じているんです」
思い切った決断によって末期がんの夫に希望と命をプいセントした妻のSさんのつぶやきだ。
その妻を見て、T氏が言った。
「四十九歳で末期がんを宣告され、死を目の前に見た私の場合、やはり人生観が変わりました。
人生をIから出直す気持ちで、家内と一緒に一日一日を大事に生きてゆきたいです」
がんの旅路の終わり
一家が自宅で「パパの五十歳の誕生日」を祝っだのは、退院から三週間後のことだ。
こうして「がんの旅路」の第一幕は晴れやかな笑顔で幕を閉じ、いよいよ第二幕へと移ってゆく。
退院後の一時期、T氏は発病前と変わらないほど元気な姿に戻っていた。
自分の鉄工所で毎日働き、大型クレーンのハンドルを握って重い鉄材運搬用トラックへ製品を積み込
む。
がん闘病を忘れる仕事の時間が、本人はひどく楽しげで、妻のSさんも心が弾んだ。
だが、彼の胃がんは同年五月の発見段階で既に肺や骨にまで転移していたのだった。
手術の成功によって出血死の危険を取り除き、一度は「ふつうの生活」が取り戻せたとはいえ、完全な治癒は望めなかった。
鉄工所経営の仕事を続ける一方、関西にある自宅と東京を十日ごとに飛行機で往復し、抗がん剤治療を続けた。
新しい年が明け、西暦二〇〇〇年のお正月は念願どおりに一家三人で迎えることができ
た。
しかし、一月、二月と過ぎて三月の声を聞くころになると、容体は悪化した。
がん末期の痛みを取り除くため、MSコンチン(モルヒネの一種)が手放せなくなった。
そして五月九日に亡くなるまで最後の六十一日間、妻は、東京に入院する夫のそばを離れなかった。
夫の体調のよい日は自分の心も弾み、体調が悪いと彼女も落ち込んだ。
食欲が落ちた夫は日増しに衰弱する。
がん末期の夫は生きるために食べ、妻ぱ生きてほしいと食べさせる。
がんの旅路の終わりが日一日と近づいていた。
ある日、Sさんは、
「パパ、宝塚へ帰ろうか」
と話を持ちかけた。
「いや、帰らない。
俺はまだ頑張れる」
と夫は首を振った。
同年五月九日昼過ぎ、T氏は息を引き取った。
今を生きる
働き盛りのT氏は、なぜ完全な手遅れになるまで自分のがんに気づかなかったのか。
私の抱いた最初の「なぜ」が、これである。
もっと生きたいと願った彼は末期がんにメスを治らないがんにかかったら
入れた。
どうして、この決断ができたか。
それが二番目の「なぜ」になった。
そして、末期がんにメスを入れたあと、彼はどのような時間を生きたかが、T夫妻に対する三つ目の私の問いかけであった。
成人病予防健診の結果を軽く考えたのは、あとで思えば、取り返しのつかない判断ミスだ。
しかし、まだ死ぬには早すぎたし、妻もなんとか生きてほしいと願った。
しかし、末期のステージWの胃がんだという医学上の理由から、最初にかかった病院ではあっさりサジを投げられた。
当初、本人はそれを知らされなかった。
妻が「もう仕方がない」という考えに一度でも傾いていたら、その後の夫婦の十ヵ月間はあり得なかったと思う。
そのとき夫妻は、転院先の医師からがん患者の生き方として三つのことを教えられた。
・がん闘病では、過去の失敗を悔やんでも仕方がないこと。
・今を生きるため、今日からどうするかを自分で考えること。
・患者と一緒になってがんと闘ってくれる医者を見つけること。
彼ら夫婦はそのとおりにした。
それが夫と妻の「がんの旅路」のはじまりとなった。
限られた命を夫と妻は懸命に生きた。
そしてまた、一つの旅路の終わりは新しい旅路のはじまりになるのである。
T氏が亡くなって三年過ぎたころ、「お元気ですか?」と私の便りを送った翌日に、Sさんの電子メールが私のパソコンへ届いた。
受信日時は、二〇〇三年七月一日午前七時一
分。
仕事に出かける前のSさんの近況報告だ。
「私は大変元気です。
今、トライアスロンに挑戦中です」
別れの悲しみはずっと消えないけれど、頑張って生きています。
短いメールの言葉がそう語っているように思え、うれしかった。
がん末期の「痛みの治療」はなぜ必要か
がんの終末期医療の世界に、患者が主役という考え方がある。
末期がんを病む患者と家族がいて、心ある医療者がいる。
それでこそ理想的な看取りの形が生まれるもの。
がん末期の症状であっても、よりよく生きるためにはどうすればよいか。
自分の死期を悟り、「家で死にたい」と願った男性患者の物語を紹介する形で、がん末期の過ごし方について考えてみよう。
北関東の小さな町にあるペインクリュック小笠原医院(群馬県高崎市)は、痛みの治療が専門のクリュックだ。
一九九二年以来、開業医として在宅ホスピスの先駆けとなり、この十二年間で二百人以上の末期患者の最期を在宅で看取ってきた。
在宅ホスピスとは、「家で死にたい」という患者、家族の願いをかなえるための終末期医療である。
医師の往診代(治療費や薬代、酸素吸入装置など)、ナースの訪問看護料とも健康保険が適用されるため、患者側にも費用的な負担はそうかからない。
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